「資料室[忍海]」

  開設展示 1999/11/16 

  爾後追加 2000/1/18 場所[模型 キツト]

        〃 2/7  場所[[海星]受講暦] 
        〃 3/1  場所[ 復元伝習帆船] 
         〃 4/20 場所[訪問.受講]
        〃 7/7  場所[ 忍路丸 ] 
          

 

帆船「忍路丸同「海星」に拘つている一老人の迷い辿った跡のささやかな資料室です。同好の士のお目に止れば幸甚です。

 海船にわ無縁の経歴で年金生活に入いつた時これからの趣味は少年時代から関心の深かつた帆船に絞ることにした。

 現在就航している帆船で寄港地で部外者が見学できるのは 運輸省練習船日本丸 海王丸他数隻と少ない。体験乗船出来るのも海星ほか数隻である。 

 忍路丸」は最も好きな船なのだが現存せず専ら資料による研究となるが 「海星」は乗船体験による実地研究が出来るので有難い。資料室名を[忍海]とした所以である。

 少年期から帆船に興味をもち新聞雑誌の記事写真をよく読み工作も試みたりした。 昭和57年秋小樽港で日本丸.苫小牧港で海王丸を見学した時.帆船研究の奥の深さを思い知らされ.昭和60年ヨット教室.翌年デインギイ購入.以後実技の研鑚に勤めているものの所詮老人のお遊び.技量は上がらず.遅い入門が悔やまれる。

 昭和62年模型店で義勇和爾丸のキットを買い組み立てた時かって少年たちを育てたこの船を帆航伝習船として復元すれば同好の士に老生の悔しさを味わせずに済ませられると考えた。勿論この事の実現見込みは皆無に近い事を思い知る。

 キットは元忍路丸とある ならば全く同じなのか違うとすれば何処がどう違うのか。忍路丸に就いて無作法構わぬ調査を続行多くの方々のお蔭によつてまずは「忍路丸」35年の生涯を概観できるに至った.

 小生の幸せは美しい『忍路丸』をイメイジしつつ帆走することでありその『忍路丸』は明治43年の無動力ブリガンチンの姿である。これは『海星』なしでは味わえなかった事である。

 然るに日本セーリング協会は、活用してきた帆船「海星」がアメリカ法人の持船となり2004年12月末日裸傭船契約は解除、ここで協会は解散、体験航海の場は失われてしまった。1臆を超えた累積債権放棄であった。

 「忍路丸」については90歳を超えた老生には新たな知見はないが帆船模型展で新たな方々から「忍路丸」に寄せる熱い思いを拝聴している。

 ただ函館水産学部資料館のガラスケース内の模型は、1872年世界に名を知られた遺棄船マリーセレス号そのものであり、これは舵社海洋文庫19航海と冒険編p242付図で知りえた事を付記したい。


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