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「忍路丸」

 

「忍路丸」は明治42年札幌農科大学水産学科実習船として建造されたブリガンチン型150トンの帆船で17年後、海洋小年団に払下げられ訓練船和爾丸として就役 12年後損傷 海運会社機帆船「海勢丸」として再生 戦時下海運に従事 6年後米機空襲により炎上した。





 

船名 「忍路丸」(後の義勇和爾丸 その後の海勢丸) 
    船型 ブリガンチン全長 31.8m 全幅 7.6m

    総トン数 150t
    総帆数 13枚
    主機関 50hp(海洋少年団は昭和5年120hpに改
            装 ブリッジ新設 昭和8年225hp
            船体改造海勢丸は150hp)


 
「忍路丸」35年の生涯は今泉章利氏恵与資料(本室 資料研究の項で報告済み)に依ると所属は 北海道農科大学-海洋少年団−海運会社へと船名も「忍路丸」‐「義勇和爾丸」‐「海勢丸」 へと三転している.

 この間船体.ぎ装の改変も「忍路丸」3度、「義勇和爾丸」2度、「海勢丸」3度に及び「忍路丸」の3度とは

      @トップスルスク‐ナ‐からブリガンチンへ
      A50馬力機関搭載
      B就航10年目の点検修理(学生居住室の拡張など)
                                である。

 「忍路丸」の精密模型更には復元を口にするからにはどの段階を目指すのかを決めねばなるまい。従前出回っている「義勇和爾丸」のキットと昨年発売された「忍路丸」のキット(本室 資料研究の項で報告済み) この両者の決定的相違はブリッジの存在と舵機の形状である。

「忍路丸」にはブリッジは無く舵面にはスクリュウを抱く空間が在る。この事は平成元年北大水産資料室でコピ-を許されたジェネラル アレンジメント プラン で明白である。





この絵は明治42年5月23日タイムスに乗った写真の模写で15日早暁小樽入港を報じた16日の紙面の写真は進水式の状況だけで儀装後の姿を読者が目にするのはこれが始めてとなる。一年後にブリガンチンに改装された為トップスルの「忍路丸」の写真はこれぐらいかの貴重なものである。

ここで注目したいのは横帆の枚数である。伊勢大湊市川造船所を訪問恵与されたセ-ルプラン(既掲)と同じく3枚なのは当然なのだが16日の併せ記事に遠藤教授の命名由来談話があり水産学科所属船艇すべて「追分節」に即して名付けたと教授直筆と見られる挿絵を載せて述べられている。ここでは「忍路丸」は2枚横帆のトップスルとして描かれており当時の常識のスタイルだったと思われる。

「海星」もトップスルからブリガンチンに改装された帆船なのだが生国ポ-ランドでゼブと呼ばれた頃の図版をJC-6.JF-19.で同船ご指教戴いた石窪直子氏から恵与されてるがこれも2枚横帆のトップスルであった。

当時異色の3枚横帆の「忍路丸」は当初からブリガンチン改装を予想して儀装したのではないかと思われる.

 主文 忍路丸 海星 見学した帆船 海星受講暦 実技実習

 復元伝習帆船 資料研究

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