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「訪問 受講」

 昭和63年 函館 北大水産資料館で今田光男元教授は持参したキットを見て中学生の時見た「忍路丸」と甲板構築物が違うと言われた。

大型ショウケ-スの中のブリガンチン帆船模型は「忍路丸」ではなかったが大輪田氏寄贈のキットが「忍路丸」に酷似していた。

 昭和63年 「忍路丸」を建造した伊勢市 大湊 市川造船所を訪問。先に郵送されていた資料に加えて 西 勝利専務から建造当時のトップスル スクウナーセイル-プラン図(下図)T8年修繕工事契約書のコピ-を恵与される。

 昭和64年 北大水産資料館を再訪。展示資料の「忍路丸」船体図面 (船体側面。平面。断面)をコピ-して頂く。

 平成12年4月14日 北大水産資料館を再再訪問した。

◎室内の状況

  1. 12年前 高橋助教授(当時)のお世話でコピ-を戴いた額入り「忍路丸」の図面は壁から下ろされ見当たらず。係員に問い床に、立掛けられた他の額の陰に隠されて居るを知る。
  2. 小ガラスケ-スの「義勇和爾丸」の模型は12年前と変わらず「忍路丸」と表示され 製作寄贈者の大輪田氏の標記は無くなっていた。
  3. 大ガラスケ-スに入っている縦横2メ-トルの外国船ブリガンチン型帆船模型には12年前と同じく「忍路丸」と表示されて居た。

◎係員に問い 納得したこと。

  1. 額を下ろしたのは 最近 所蔵記録フイルム の自然発火による小火災あり、この部屋にも熱煙害が及び 図面は無事ながら額破砕した為である。
  2. 関係者に 「義勇和爾丸」と「忍路丸」との違いが判る者が皆無であり、標記違いのことは今もって理解されていない。
  3. 外国船-ブリガンチン型帆船模型についても同様 開室以来、「忍路丸」と呼び慣らし 誰一人気にするものは居なかった。

処置・所感。

  1. 12年前と同じ要望を繰り返す事になったのは 誠に残念であったが 当日本室在駐の北大総合博物館の 今村助手に 標記違いの善処をお願いし。帰札後 北大総合博物館の 南事務官に 経過を報告し善処をお願いした。
  2. ブリガンチン型帆船模型に就いて 12年前はただ「忍路丸」との違いだけを気にしたが 今 ブリガンチン型訓練帆船「海星」の訓練を受けた目で見直すと その精緻が解り、当時の学生は乗船前の座学をこの船学び、愛称として「忍路丸」として言い伝えたのか。

又、就航1年後 トップスル-スクウナ-を ブリガンチン型に改装するに当たって 手本にするべく海外か ら 買い入れ工事を進めたとも考えられ 「忍路丸」が海洋少年団に移管され学外に去った後、偲ぶ資料として「忍路丸」の呼称が定着したのかもしれない。

 以上は、老生の推測・臆測 今後の調査課題である。

 

主文 忍路丸海星 見学した帆船 海星受講暦 実技実習

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